大地丙太郎文庫

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くのいちせぶん3話
18くのいちせぶん
3話「最近くノ一の様子がおかしいんだが」

その1
今、俺の家には4人のくノ一がいた。
そして、そのうちのふたりは瀕死だった。
特に、妹…本当の妹ではないが、妹の十季は相当な深手の筈だった。いや、深手どころではない。背中から腹にかけて刀が貫通し、アレだけ大量の血が流れたのだ。死んでいても不思議ではないくらいだ。普通なら死んでいると思う。
あの時…。
地面に倒れ、動かないままの十季が声を発した。
「とのの…おっしゃるとおりにしてくださいませ…山吹さま…」
藍さん…実際には藍さんではなかったが…にとどめを刺そうとした山吹さんに向けた十季の言葉だった。
あの時、十季はすでに血が止まっていた。少なくとも俺にはそう思えた。なにしろあの時あの状態で生きていたコトに驚いた。
どうやら十季はうずくまりながら、秩父忍者三峰衆に伝わる秘薬で自ら止血したらしい。
今、十季の部屋の床に就いているくノ一がふたり。十季と群青さん。十季は自分のベッドに。群青さんは床に敷いた布団の上に横たわっていた。
このふたりにその忍者秘薬を塗っているのが柘榴さんと山吹さんだった。
群馬先生こと群青さんもかなりな深手ではあったようだけど、意識はあった。時々苦しそうな息を漏らしていた。
十季は…。
十季は、完全に気を失っているようだった。
息は…?
息はしているのか?
まるで死んでしまったように、十季はうめき声さえあげなかった。
このふたりは、またしても、この俺のために、この俺の命を守るために、こんな姿になっているのだ。
俺は…。
俺はどうにもやるせなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
でも、なんで俺がこんな気持ちにならなくちゃいけないんだ。いろんな思いは巡るけど、今は十季。目の前の十季が無事でいてほしい。それだけだ。
十季に薬を塗っているのは、かつておとといまで母さんだった柘榴さんだった。
俺は柘榴さんの傍に進んだ。
「か…(かあさんと言おうとしてしまった。柘榴さんは19歳のぽちゃぽちゃの歯並び綺麗な可愛いコちゃんなのに…)柘榴…さん。お、俺にも手伝わせて」
柘榴さんが俺をみた。
「めっそうもございません」
「やらせて。十季は、俺にも手当てさせて」
やっぱり、俺は十季が妹にしか思えない。ずっと一緒に育った妹だ。
かあさんは…柘榴さんが忍法老け化粧で化けていたから、かあさんから柘榴さんに人が変わったと思える。
でも十季は忍者になっても、あの十季のままなんだ。
今、目の前に横たわっているのは、俺を殿と守るくノ一ではなくて、妹の十季なんだと、俺は思う。そうとしか思えなくなって来た。
俺は柘榴さんに手を差し出した。その薬、下さいという意味で。
柘榴さんは、少しためらっていたが、俺に薬を渡してくれた。
その薬を俺は指につけて、十季の鴇色の装束をめくり、傷に塗り込んだ。体のあちこちが傷だらけであった。深いものから浅いものまで。十季はおそらく全身傷に覆われているのだろう。
はらはらと涙がこみ上げて来た。
少しづつ装束をたくし上げる。
そして脇腹。
藍さんの刀が貫通した脇腹。
見るのが少し怖かったけど、でも、俺の命を守るために十季が負った傷だ。
はっ…。
だいぶ傷が消えていた。
凄い。
この忍者の秘薬…。
俺は手にした秘薬の薬瓶を見た。
『オロナイン軟膏』
と、書かれていた。

(つづく)
19くのいちせぶん
3話「最近くノ一の様子がおかしいんだが」

その2
「たいていの傷はオロナイン軟膏で治ります。それゆえ忍者は常備しているのです。あの武甲衆の刀を受けたあと、十季はすぐにオロナミンを塗り傷を治療したのです」
と、柘榴さん。
ホントかっ!
良い子と良いお医者さんは真似しないで。

ともあれ。
俺は三峰衆に伝わる忍者秘薬、オロナイン軟膏を十季の体に塗っていた。
十季。
傷だらけのその顔のあちこちにも、そっと、そっと塗っていた。
十季。
目を覚ましてくれよ。
十季…。
十季が、妹じゃなくて、俺の命を守る忍者だったなんて…。
まったくそんなコト、微塵も思わずおとといまでやって来たのに。
十季。
十季の産まれた日のこと、俺は覚えているぜ。おぼろげだけど。
とうさんと病院に行って、ガラス越しに十季を見た。とうさんが嬉しそうな顔をして、ベッドに横たわっていたかあさんの手を取った。
ん?
あれ?
急に疑問が。
とうさんは、実は三峰衆の下働きの作造さんだったので、まあわかるが、そのかあさんは…忍法老け化粧を使った19才の柘榴さんだったわけで…。となると、その当時のかあさんは柘榴さん5才ってコトになるんだけど。いくらなんでも忍法老け化粧で5才の女の子がかあさんになれないよね。
え?それとも忍者ってそこまで出来ちゃうの?
と、柘榴さんを見ると…。
あれ?
いない。
あれ?柘榴だけじゃなくて…山吹さんもいない。それどころか…今までそこに伏せていた、瀕死だったはずの群青さんもいない。
え?
俺は部屋を見渡した。
十季の部屋に、十季とふたりきり。
…。
どうやら、俺を十季とふたりだけにしてくれた…ようなんだけど…それにしても群青さんまで…。大丈夫なのか?
群青さんの寝ていた辺りにもオロナイン軟膏の瓶が置いてあった。え? 治ったの…?
忍者って…いろいろすごい。

俺はもう一度、十季を見た。
心なしか、十季の傷が少なくなっているような?
オロナイン効果ばつぐん…?
十季…。
俺は、妹、十季とのこれまでに思いを馳せた。
十季は昨日、こう言った。
「生まれた時から…正確に申せば、生まれる前から決まっておりました。わたくしの役目は、生まれたら殿の妹として生きることでございました。少吾さまの暗殺指令が出たその時には、警護のくノ一であることを明かし、身命を賭してお守りせよとの命を受けておりました」
生まれてすぐに…?
俺の妹になって…?
俺の警護をしてた…?
十季は俺の妹じゃない…。
昨日浮かんだ「はてな?」がもう一度蘇ってきた。
十季は…俺を警備するくノ一。
十季が産まれて、それから俺は作造さんのとうさんと柘榴さんのかあさんと、十季と、4人家族で、ごくごく普通に生活をして来た。
十季とは仲は良かったけど普通に兄弟喧嘩もした。
テレビのチャンネル争いもしたし、おかずが多いとか少ないとかも。
十季は俺と同じ、地元の大萬幼稚園に通ったし、小学校も同じ大萬小学校、そして大萬中学…。
朝、学校を出て、帰れば十季はもう帰っている。一緒に晩御飯も食べていた。
産まれてから一昨日まで、ずっと普通に一緒にいたはずなのに…十季はいつ忍者の訓練をしたのだろう。
あの剣さばき。
藍さん…のにせものの武甲衆の忍者と戦った時のあの身の裁き、戦いっぷり。
オリンピックの選手でもあれほどのスピードで動けるだろうかと思うほどだった。相当な訓練をしているはずだ。
でも、いつ?
一体いつ忍者の修行を?
いつ?
そう、問いかけるつもりで俺は十季の顔を見ていた。
十季は、今だに目を覚ます気配がなかった。
俺は十季の腕の傷にオロ…秘薬を塗っていた。
想像した。
十季が秩父の山奥で…俺は行ったコトはないけど、三峰山の山奥で、俺たちとの生活を普通に送りながら、手裏剣や刀の修行…野を走ったり、森を走ったり、大木を縦に駆け上がったり…そんな激しい修行しながら、そんな気配は微塵も兄貴に見せずに、ノー天気な妹として俺の横にいつもいた…のか。修行を終えて帰って来て、何食わぬ顔をして、俺とチャンネル争いをしていた…おかず取り合いしていた…のか。
俺を守るために…俺なんかのために…。
俺は、十季がはげしく愛おしくなっていた。
目を覚ませよ、十季。
覚ましてくれ。
「やだよおにいちゃん、やめてよねそういうの」
「わたし、おにいちゃんにはなんにも期待してないから」
「トイレ出たら電気は必ず消してよね」
これまで十季と過ごして来た時間が蘇る。普通に、ごく自然に憎まれ口をたたく生意気な妹。
そんな十季が生まれた時から俺の命を守るためにだけ生きてきた忍者だったなんて…。
ありえねえよ。
ありえない。
どう考えても、ありえない。

あ、そうだ。
十季。
お前…。

「私、応募したけど」

おとといの十季の、朝ご飯の時の言葉を思い出した。

「一次予選も通過して来月決勝でNHK行く」

そうだ、十季はEテレの声優スタジアムという番組に応募してたんじゃないか。
まさか十季が、声優に憧れてたなんてと、びっくりはしたけど…いや、忍者だった方がその何万倍もびっくりだけど…アレは、本当だったのかな?
十季の夢が声優だったこと。
少吾ってやつの暗殺命令が出なかったとしたら、十季はその決勝戦に行ったのかな?
いつ暗殺命令が出て、いつくノ一に戻らなくちゃいけない状態にあった十季に、本当にそんな夢があったのかな?
十季…来月の決勝戦は…どうするの?
十季は目を閉じたままだったけど、わずかに口が動いた。

「もう…」

十季がしゃべった。

「それは…」

ささやくように十季が言った。
「十季っ」
生きてた。
十季が生きてる。

「いいのです…」

いいのです…と、十季が言った。
目はつむったまま。
そう小さな声で言った。
それきり…。
また十季の口は閉ざされた。
眠っているようだった。
その表情には、なにも浮かんでいなかった。
夢を、あきらめてつらいのか、くやしいのか、残念なのか…それとも…最初からそんな夢など持っていなかったのか…それは、ただ、俺の妹を演じている上でのキャラ作りだったのか…。
俺には、まったくわからなかった。
いいのです…と、十季は言った。
そう言った。
いいのです…と、言った。
その言葉は、やっぱりなりたかったんじゃないの?十季。声優に。
俺は心の中で、十季に話しかけた。
十季の表情は動かなかった。
俺の心は読んでるはずなのに。
十季の表情は、動かないままだった。

(つづく)

20くのいちせぶん
3話「最近くノ一の様子がおかしいんだが」

その3

「これを」
わ、びっくりした。
いつの間にか隣に柘榴さんがいて、水の入ったコップと錠剤を3粒差し出したていた。
「飲ませて、休ませれば程なく回復したしますでしょう」
この錠剤を十季に…。
十季は今、言葉を発しはしたが、いまだ目を開けていなかった。
また深い眠りの中に戻ったようだった。
柘榴さんが錠剤とコップを俺に差し出した。
「飲ませますか?」 
「え」
戸惑う俺。
十季を見る。
寝てる。
え、どうやって?
飲ませるの?
やや、うろたえていると、柘榴さんがほんのりと口角をあげた。
そして、錠剤と水を自分の口に含む仕草をし、人差し指で俺の口を差した後に、移動させて十季の口を差した。
えっ、つ、つまり…、俺に口移しで飲ませろってっ!?
いやいやいやいやむりむりむりむり。十季は妹じゃないしっ。いや、妹だってだめだめだめだめ。
と、慌てて俺は手を振ってノーグッドを表明。か、顔が火照ってしまってるのがわかる。
柘榴さんは、ふふ…と、ふたたび口角をあげ、すいと錠剤を自分の口に含みさらに少量の水を含んだ。寝ている十季の上半身をすくい上げると素早く十季の口にその口をつけた。
俺はそのまましばらく柘榴さんと十季の口づけを見ることになった。
柘榴さんは錠剤を自分の口から十季の口に移しているのだった。
やがて十季の喉が小さく二回ほど動いた。錠剤を飲み込んだのだ。
柘榴さんは口移しで、眠っている十季に薬を飲ませたのだ。
飲ませたのだ…。
飲ませ…。
あれ?
もう錠剤は十季の喉を通ったと思うけど…柘榴さんは十季から離れなかった。
その口づけは…しばらく続いたのだった。
…だった…。
だ…
やがて、ゆっくりと柘榴さんの唇がは十季の唇から離れた。離れながら、柘榴さんは虚ろな目で、十季をまんじりと見下ろした。
「愛しい子…」
ん?
柘榴さんがなにか呟いた気がした…けど…。なに?
なんか、言ったよ…。
俺は、なんとなくハゲしく照れた。
め、目線がおよ、およ、泳いだ。
泳いで、落とした俺の目線の先に、その錠剤の入った薬瓶が置いてあった。
そのラベルには、確かに『パンシロン』と書かれていた。

(つづく)

21くのいちせぶん
3話「最近くノ一の様子がおかしいんだが」

その4
十季を寝かせたまま、夕食になった。
食卓に、元かあさんの柘榴さんとふたりきりだった。
米のご飯と焼き魚、海苔、ひじき…まてよ、今朝のメニューと同じじゃね?
「あの、柘榴さん」
「はい?」
「山吹さんと群馬先生…群青さんは?」
柘榴さんはまた口角を上げ、わずかに目を後ろの柱に、そして天井にと移した。
いるのか。柱の影と天井裏にふたりが。
一緒に食べればいいのに…。なんかいろいろ決まりごとなんかがあるのかな、忍者には。それと、群青さんは怪我は大丈夫なのかな。
「太吾さま、湯殿のしたく、整ってございます」
「あ、は、はい…」
湯殿。
そうなんだよね、なんか緊張するんだよ。

7.5坪タイプの我が家の風呂…。
湯船に浸かる。
はあ〜とひと息…。
今日もまた衝撃の一日だった…。
と、静かにあれこれ回想しようとした時に、カタン、扉があいた。
「失礼いたします」
あ、はは、やっぱり来るんすね?
案の定、柘榴さんが素っ裸で入って来た。
俺はもう見ないよ。いちいち驚かないよ。これからはこれが日常になるんですね。りょーかいです。
ちゃぽん、と、柘榴さんは湯船に入って来た。
「よろしくお願いします」と、言おうかなと思いつつ、それも変だなと、黙ってた。
ちゃぽ。
湯船に柘榴さんとふたり。
柘榴さんは…可愛いらしい。
でも、まじまじ見るのも気が引けるので、俺はうつむいていた。
柘榴さんも特に何か話そうともしない。
黙ったまま、ふたりで湯船に浸かっていた。
この後は〜、どうしたらいいんだろうな俺…。
今日の出来事だって、なんだかここで楽しく話すコトでもない。
衝撃ではあったけど、なんだか触れたくなかった。
ふと、俺はこの先、どうなるのかな、どうするのかな…なんてことがよぎった時、がたーん、と、乱暴にまた風呂の扉が空いた。
ぎょっとして見ると、山吹さんが入って来た。
「風呂は裸であるべし」という三峰衆の掟通り、全裸で。
それでもしずしずとしなやかに入ってきた柘榴さんと違い、扉をけっこう乱暴にしめると、何も隠そうという意思もなさそうに堂々と振り返り、ずがずがと大胆にこっちへ近づいて来た。がばっと足を湯に突っ込み割り込むようにざばと湯船に入った。
や、山吹さんて、見た目はきりりと細いがなんかいろいろガサツだ。凶暴というか…今日の戦い方もそうだったけど、男のようだ。
山吹さんが湯船に沈むと顔はすぐ俺の前にあった。
ぎっという感じで山吹さんが俺を見た。睨むように見た。まるで俺のことが気に入らないかのような目で。
なんか俺はおとおどした。
「失礼いたします」
と、山吹さんが切れのいい高めの声で言い、頭をきりっと下げた。
入ってから?
そして山吹さんは鋭い目で湯殿の隅々をきりりと見渡した。
カタ…。
今度は控えめな音で、また風呂の扉があいた。
えっ? まさか…。
すたん。
まず手が見えた。き、傷だらけの手が床に突き、もう片方の手が扉をスルリとずらし、さらに開けた。
そして、全裸の群馬先生、じゃない、群青さんが這うようにして入って来た。
「しつれい、いたしまする」
押し殺すようなしゃがれた群青さんの声。こ、怖いんですけどっ!
顔は項垂れたまま表情を見せないかたちで這って来る。
さ、貞子っ。怖いよっ!
そして、す、すいません、全裸のおかげで全身の生々しい傷が露わで…すいません、結構血だらけなんだけど…すいません、そして、すいません、ちゃぽんと湯船に手を、腕を入れて、すいません、あの、そのまま、あの、すいません、頭から入って来ないで下さい、先生っ!わっ、入っちゃったよっ!あ、足だけ外に出て、スケキヨっ!今度はスケキヨっ!わ、ちょっと、湯船の中で体を反転させて、ざばーっと顔が出たーっ!わっ、ちょっと、長い髪の毛が傷だらけの顔にへばりついて、わっ、わわっ、お岩ーーーーーーーっ!

湯船に俺とくノ一3人、計4人がぎっしりと浸かっていた。
変だ…。
やっぱり変だこの警護の形…。
俺のコレからは、これなのか…。
コレなのか?
などとまとまらないアタマであった。そして、そのまとまらない感、落ち着かない感の原因がふとわかった気がした。
十季。
十季がいない。
十季だけが、…そう、十季だけがここにいないのだ…。

ま、もう入らないけど…。

(つづく)
22くのいちせぶん
3話「最近くノ一の様子がおかしいんだが」

その5
朝が来た。
新しい朝が。
たったふつかしか経っていないのに、もう最初の衝撃の出来事が何ヶ月も前のことのように思える。
(これは作者の個人的な感想だけど…)
目が覚めてゆるりと起き上がると、そこに十季がいた。
正座をして控えめに顔を伏せ気味にしていた。
「十季っ」
嬉しくなって声が出た。
十季がいた。十季が。
俺の声に十季は静かに頭を下げ、そして顔をあげた。
その顔には傷は見えなかった。
「もう…いいの?」
俺、声が弾んでる。だって嬉しい。
「はい」
十季が静かに控えめに答えた。
早いけど、早すぎるけど治るの。オロナインとパンシロンすごいっ!
でも良かったよ。ホントに。
「ありがとうございました。その…とのが私の傷の手当てをなさってくださったと…聞きました」
「うん、うん、した」
そして、治ったんだ。俺が手当てをしたから、十季は治ったんだ。それが嬉しかった。
「もったいのうございます」
今度は深々と頭を下げた。
「いいよ、いいんだよ。したかったんだよ、俺が、お前の…」
お前の…と言ってみて少し照れた。何故か…照れた。
「お前の、手当てを…」
俺がしたかったんだ。
十季が顔を上げ、俺を見た。
俺を…。
あ、十季…。
忍者になってから…戻ってから?…の十季は、ほとんど表情を出さなかった。出さない様にしている様だった。多分、それがくノ一のスタンダードなんだろうと思う。柘榴さんも他のみんなもそうだった。常に表情を殺していた。
でも…でも、今は、違うように、俺には思えた。
十季は、わずかだけど、俺に、はにかむように、照れたように微笑んでいた。ホントにわずかだけど、俺にはそう見えた。それは、多分、俺に対しての感謝の気持ちを見せてくれたんだと思う。
俺と十季はひととき、お互いに照れた感じで見合った。
その時。
ピンポーン。
と、チャイムが鳴った。
え?
俺も、そして十季もハッとした。
誰か訪ねて来た?
え?
誰が?

俺と十季が階下に降りて行くと柘榴さんと一緒になった。
俺たちは思わず顔を見合わせた。
皆、同じ思いだった。
一体、誰が家のチャイムを鳴らしたのだろうという思い。

玄関に来てインターフォンのモニターを見た。
誰も映っていなかった。
うえ。
ますます警戒しなくてはいけなかった。
十季が自然に俺の前に出た。柘榴さんがそっと玄関ドアの外の様子を伺った。外に、人の気配を感じた様だった。ふたりが音もなく短い忍者刀を抜いて逆手に構えた。ど、どっから出したの?俺はそっちにもびっくりしながら、この警戒態勢にもびびった。いつまにか俺の両サイドにも群青さんと山吹さんが手裏剣を構えて俺をガードしてた。
ひいっ。
俺は体を固くした。
また、なんか始まるのか…!
柘榴さんが、わずかに目を配らせ、俺へのガード態勢をチェックしてから、ゆっくりとドアノブに手を掛けた。
ぐ…。
俺はツバを飲み込んだ。
新たな刺客…なのか…。
刺客がピンポン鳴らすか?
モニターに誰も映ってないのは、配達とか勧誘ではない…。
まさか…まさか…。
ピンポンダッシュっ!
…なんて、ピンポンダッシュをそんなもったいつけて言うコトない…。
柘榴さんがドアを一気に開け、同時に刀を逆手に持って構え、俺の前に後ろ飛びに来て警戒した。
ドアが開いた。
そこには…。
あっ!
そこにいたのは…。

藍さんっ!

(つづく)
23くのいちせぶん
3話「最近くノ一の様子がおかしいんだが」
その6
俺もくノ一たちの動きを見て、緊張した。
もしかしたら藍さん、このままいきなり俺に襲い掛かって来るのかも知れない…とも思った。
「貴様っ」
と可愛らしい柘榴さんが鬼の様な形相で言った。
「何をしに来た。二度と顔を見せるなと言うたが聞かぬかったかっ」
厳しいその声に、ひれ伏したままの藍さんが…いや、藍さんに化けた秩父忍者武甲衆の男忍者がさらに縮こまる様に恐縮した。
「お許し下さい。お許し下さいませ」
と、藍さんが…じゃなくて、藍さんのニセモノが、声は本当に藍さんのままで、か細く震えるように言った。
俺の前にいる十季が、右手に忍び刀を構えたまますっと下がり、俺の体に左の腕をわずかに密着させた。いざの時には俺を庇うつもりなのか、引っ張って逃げるつもりなのか、はたまた突き飛ばすつもりなのか、いずれにしても、十季の体から緊迫の気が伝わって来た。
「太吾さま」
と、ひれ伏したまま藍さんが言った。
やっぱり俺は藍さんがそこにいる気になってしまう。
まるで泣き出しそうな声で藍さんは続けた。
「私は、秩父忍者武甲衆の、黄土と申します」
黄土!
黄土?
おうど…。
そんな名前?
そんな汚い名前?
「この命を、…、どうか、太吾さまのために使わせて下さい」
え?
汚い名前の黄土…いや、やっぱり藍さん、藍さんが顔を上げた。
俺をまっすぐに見ていた。
泣きそうな顔をしていた。
泣きそうな顔で、ホントに、絶対ホントに本気で藍さんはこう言った。
「太吾さまのお側に、私を置いて下さい。私にも太吾さまの警護をさせて下さい」
藍さんがそう言ったんだ。
うん。
藍さんっ!
そうだよ。藍さんはやっぱり悪い人じゃないっ。
ずっごいけなげです。
愛らしい。
可愛い。
いじらしい。
「きっと、きっとお役に立ちます。どうか、どうか私を太吾さまの警護役にお加え下さい。一度なくしたも同然の命を、太吾さまのお情けによって生きながらえました。ですがこのまま武甲衆に戻ることも出来ません。なれば、太吾さまに生かされた命を太吾さまのために使いたいっ」
藍さんが再び額を地面に押し付けるように頭を下げた。
「お願いでございます」
そのまっすぐで懸命な姿を見ていて、俺はふいに涙が溢れた。
藍さんが、そこまで言ってくれるなんて。
感動で体が震えた。
と、俺の体に触れていた十季がぴくりと動き、わずかに俺を振り返った。
「ふざけるなっ!」
どきっ!
びっくりしたっ!
そう叫んだのは、十季ではなく、あの、きりり凶暴美女の山吹さんだった。
山吹さんは俺の左後方で棒手裏剣を構えていたが、つかつかと歩み出て玄関を降り、ひれ伏していた藍さんの胸ぐらをむんずと乱暴に掴んで引きずり上げた。自分の目の前まで吊し上げると持っていた棒手裏剣の先を藍さんの喉に突き立てた。
「そんなことが信じられるかっ」
と吐き出すように言ってから、これは仲間のくノ一たちに?頭の柘榴さんに?いや、殿の俺に?
「やはりこやつ殺しましょう」
と、言った。
や、山吹さん、やっぱり凶暴…。
俺はぶるった。ぶるったけど、反射的に言っていた。
「待ってっ」
その声にまた十季の指先が反応した。いや、今度は十季だけではなく、柘榴さん、群青さん、特に山吹さんも大きく反応して俺を睨むように見た。
に、睨んでる?
でも言う。俺は言う。
「ダメ、ダメだよ、それはダメ、やめて」
弱々しく言う…。びびってるよ俺…。
「殿、こやつの魂胆など見え透いておりますぞ。昨日まで殿の命を狙っていた忍者が、このようにカンタンに寝返るなどと言うことはあり得ない。殺しましょう」
山吹さんは凶暴な流し目を俺にも投げつけながらそうきりっと言った。
ものすごく怖かった。
「お願い…やめて…そんな…ころ…ころ…す、なんて…」
俺はまるで俺が殺されるような気分の中で、やっとそれだけを山吹さんに言った。声、かすれてました。
俺のその言葉に、山吹さんはしばし俺を睨みつけている感じだったが、ちっと目線を外した。
怖いよ…。
そして、黙って藍さんの胸ぐらを掴み上げ、藍さんを睨んでいた。
が、やがて、後ろ姿を一瞬ぷるぷると震わせ、ばっと藍さんを放り出した。藍さんが玄関先に転がった。
「あ…」
藍さんから、か弱い声が漏れた。反射的に俺は、十季と柘榴さんの横をすり抜けて、山吹さんをもすり抜けて藍さんに駆け寄っていた。
「藍さん」
藍さんの前で俺は膝をついた。藍さんをすぐに抱いて起こして上げたかったが…、でも、それでもこの人は敵…なんだよな…という事実を思い出し、手を差し伸べる途中の格好であやふやに藍さんを見下ろしていた。
山吹さんがざっとわざとらしい音を立てて踵を戻し家の中に引っ込んだ。
怖いよ。
「当然です、私、刺客だったのだから…こんなことをお願い出来る立場ではないことなど、充分にわかっていたんです。でも…」
藍さんは、そう言って顔を上げて俺の目をまっすぐに見た。
目が潤んでいた。
「でも、私、殺されたっておかしくないのに、殿が、太吾さまが、お許し下さった…。それが、嬉しくて、嬉しくて…。そんな優しい言葉、生まれて初めて聞いたのだもの…」
そう言って、藍さんは、大粒の涙をぼろぼろとこぼした。
あ、藍さん…。
か、可愛かった…。健気だった。
この忍者は、藍さんじゃないけど、俺にはまるで藍さんがそこにいるように思えた。
俺の目からも涙が溢れ出た。
この忍者は、過酷な使命と厳しい戒律の中で感情というものを押さえつけられて今日まで生きてきたのであろう。
それを、俺の、当たり前といったらホントに当たり前のひとの心というものに触れて、初めて人間らしい心を取り戻したのかもしれない。
忍者がこんなに感情を表して人の前で泣くなんて、きっとあり得ないことなんだ。そこまでこの人は気持ちを溶かしたのだ。
それを思うと、俺まで泣けてきたのだ。
俺は言わずにいられなかった。
背後にいる四人のくノ一に。
「あ、あの…、みんなが良かったら…彼女…彼…あ、藍さんを仲間に…」
俺は涙をこぼしながらくノ一たちを振り向いた。
あ。
ずーーーーーーーーーーん。
う……………………………。
な、なんか…………………。
そんな空気じゃなかった………。
くノ一たちの目が…不気味に死んでいた。
言えない。これ以上。い、い、言えない。言える雰囲気じゃない。
山吹さんが、全くの無表情で近くの壁をドンと蹴った。
こ…。
十季が…黙ったまま…ぷいとそっぽを向いた。
こ…。
ざ、柘榴さんも、ぐ、群青さんも…まったく表情を消して俺から目線を外していた。
いや、け、消した以上の何かがある。むしろ表情がある。マイナスものすごい語ってる表情がある。
こ…怖っ。怖い〜。
藍さんが、ゆっくりと立ち上がった。
「当然のことです」
「あ…藍さん」
「黄土です」
あ…。そうだった…ね…。
「受け入れてもらえないのは当然のことです。当たり前の、ことです」
そう言って藍さん…黄土…いや、やっぱり藍さんは、顔を伏せたまま、後ずさった。
後ずさりながら…言った。
「でも…私…、こう申し出るしかなくて…。これは私の心からの申し入れでした…。太吾さま、黄土は…」
黄土さん…くん…が、俺をまっすぐ見た。いや、藍さんが。
「黄土は、心から、太吾さまをお慕い申し上げます。この空の下で、命ある限り、太吾さまを思って生きます」
え?
黄土…くんは…そう言ってくるりと背を向け走り去った。
本来は、たたたたたと足音が去っていくのだろうが、さすが忍者だけあって、足跡が立たなかった…。
あ、藍さんっ。
外は白い朝モヤが立ち込めていた。
やがて…、藍さんの黄土の藍さんの後ろ姿は、その大萬市大成町の路地の、しんとした朝モヤに溶けて、見えなくなってしまった。
俺は…また藍さんを失ったような感覚になった。
もう、コレで、ホントに最後なのだろうか…。
偽物だとしても…、藍さんの姿を見られることは…、もうないのだろうか。
しばしの間、藍さんの見えなくなった白いモヤを俺は見つめていた。
俺には、今の藍さんの言葉が、どうしても嘘であるような気がしなかった。
しかし…。
二度と現れない藍さんの姿、二度と戻らない藍さんの姿を、それでもいつまでも見ていたかったのだが…、俺はすべての力が抜けたようであった。
そこに立っているのもしんどいくらいに…。
やがて俺はくるりとカラダを戻した。
くノ一たちが……。
い、いなかった。
ひとりも…。
ええーっ?
(つづく)
その6の2
朝ごはんの時間になった。
食卓に…俺ひとり。
あの…ご飯は…?
テーブルの上に白い皿が一枚。そしてその皿の上に、なにやら丸薬…正露丸のような黒っぽい粒がふたつゴロンと乗っかっていた。
と、思っていると、カンッと皿の横のテーブルの上にミニ手裏剣が刺さった。手裏剣の先にメモ用紙が付いていた。
『忍者めしにございます どーぞ ざくろ』
あ、そお…。
てか…。
はい…。
忍者めし…なんすね…。
俺は、ため息ひとつ。
忍者めしをひと粒口に入れた。
なんだろ?
ほのかに納豆のような味がする。
もうひとつ取って食べた。
同じ様な色だけど、こっちはわかる。味噌の味がする。
…。
ごちそうさまでした。
昼ごはんの時間になった。
食卓には…やっぱり俺ひとり。
テーブルの上に白い皿。その上に、やっぱり正露丸っぽい粒が、やっぱりふたつ。
今回は手裏剣も来ない。
忍者めし…なんすね…。
俺は、またため息ひとつ。
お昼の忍者めしはほんのり緑色。
ひと粒口に入れた。
ほのかに抹茶のような味がする。
もうひとつ取って食べた。
草っぽい。
草?
ほ、ホントに草だったりしてね…。
…。
ごちそうさまでした。
夜ご飯の時間になった。
食卓には…うん、俺ひとり。
テーブルの上の皿の正露丸っぽい忍者めしは、今回はやけにどす黒い。
ため息ひとつ。
忍者めしのひと粒を口に入れる。
う…。
これ。
…。
ホントに正露丸だわ。
(つづく)

その6の3
風呂の時間になった。
えっと…。
今日は誰もお風呂にも来てくれない…のね…。
アウェイだ、殿、アウェイだ…。
0.75坪の湯船って…広いんだなあ〜…。
(ほんとにつづく)

27くのいちせぶん
3話 その7
ちゃっぽーん…と、湯船で手を伸ばし、足を伸ばすと音が響いた。
俺は、ひとりで風呂に入っている。
いや、普通の家庭の0.75坪の風呂なんだからひとりで入るのは当たり前なんだが…。
なんだが…。
ひとりなのだ…。
これは…。
通常なら当たり前のところ、このひとり風呂はかなり今の俺には打撃です。
怒ってる。
怒ってるんだよ、くノ一たち…。
多分。
間違いない。
え?
でもなんで怒るわけ?
俺、しかも殿じゃないの?
殿って、もっと、こう、恭しく、大事にされるんじゃないの?
現に俺がその殿とやらになった時から、あいつら気持ちの悪いほど俺を殿扱いして、こそばゆいほどあげ奉って、俺の為に命までかけてくれてたのに…。
なんで、こんなことでこんなアウェイ感を味合わなくちゃいけないの俺。
ふんだっ!
お、俺が、ち、小さくなるコトないよねっ!
ねっ!
ねっ…って…だ、誰に言ってんのかな、俺…。
誰に…。
誰?
ん?
誰かいるよアタマの中に。
十季?
あ…。
あれ。
なんで…?
なんで今、俺のアタマの中には十季の顔が浮かぶの?
十季の…あの目線をそらした瞬間の顔が…。
無表情な顔をすっとそらしたあの時の顔が。あの動きが。俺の脳裏でリピートするの?リピートするの?リピートするの?
いやあ〜〜〜〜っ!
と、十季しか出て来ない。
十季しか出て来ない。
なんで?
なんで?
と…十季が…十季が俺に冷たいコトだけが、今、俺の気になるコトなのか?
そうなのか?
い、いいんだよ粕太郎、いいんじゃないの?
もっと他のくノ一のことを気にしてもいいんじゃないの粕太郎?
せめて十季以外の…。
そそ、群青さんとか…(一応、今のところ一番当たりがゆるい群青さんを代表とさせていただきます)
ぎゃーっ!
と、思った瞬間、俺の脳裏から十季が消えて、柘榴、山吹、群青さんが一揃いで浮かんで来たよ。
同時に十季が消えた。
三人が一様に能面のような顔をしてる。そして目をそらせ、あ、山吹さんだけがはっきり俺を上から睨んでる。
ぎえー。
怖っ。
さらに睨みを効かせたまま山吹さんが、がんっと壁みたいなものを蹴った音が聞こえた。
怖いよっ!
がっ!
また蹴ったっ!
がっ!
また蹴ったっ!
がっがっがっ!
三連発来たっ!
ひぃ〜、やっぱり十季にしてっ!
十季がいい〜。
十季の方がなんぼか可愛いよお〜〜〜〜。
あの、ぷいとすねて目線を外した十季の顔が、可愛いよお〜〜〜っ。
え?
違う。
そういう結論じゃなくて…。
いや、そういうコトじゃなくて俺は十季の顔が見たかったの。
いや、見たかったわけじゃなくて…。
あれ?あれ?
あれあれあれ?
ちゃぽーん。
がぼっ!
っと、お湯の中に俺が少し沈み込んだ。
口元までお湯に浸かって、はっとなった。
びっくりした。
は…。
は?
は…。
はっと、俺は目を覚ました様になった。
風呂に…やっぱり、風呂に、俺ひとりだった…。
ひとりで…。
ひとりで、なに想像に悶えてるんだよ俺…。
ぽーん。
ぽーん。
ぽーーーーーん…。
と、湯船の音の余韻が消えて…また、静かなひとり風呂になった。
くノ一たちのイメージは消えた。
俺は、口元まで湯船に沈み込んでいた。
現実にもどった。
ひとりの現実に…。
静かだ…。
風呂には窓がある。0.75坪タイプの風呂だけど、出窓が付いているために少し広く感じるようになってる風呂なのだ。窓はすりガラスだけど、月の灯りに外の小さな植木のシルエットが浮かび上がって…あれ?浮かびあがっていなかった…。
いつも映る庭のソヨゴの木の影が見えない…ってか、窓の外に何か別のシルエットが覆っている?
そんないつもと違う窓外の景色を感じたその瞬間だった。
がしゃーんと窓のガラスを割って巨大な何かが襲って来た。
「げっ!」
その巨大なモノは湯船にいる俺の体に容赦なく襲いかかった。
「がっ!」
まともな声を出す間もなく、俺はその巨大なモノに窓外へと引き摺り出された。
がーーっ、な、なに?
なにが起こったのがーーわわっ?
わからねえ〜っ!
ただ、俺の体は、宙にいた。
外の宙にっ!
(つづく)

28くのいちせぶん
3話 その8 若葉編
ぽつんとひとり風呂をしていた俺は、突如窓外から襲い来た何かに体を掴まれて外に引っ張り出された。
俺の体は、宙にいた。
外の宙にっ!
素っ裸のままっ!
ひえ〜!
俺はパニックになりつつも俺をつかんでいるでっかい物体を見た。
ロボット!
それは、確かにロボットであった。
木と、ブリキらしいもので作られた二足歩行の、マッチョな、頭部の小さい、眼光が電気で光っている…ロボットだっ!
さらによく見ると、左の肩に「武」の文字、右の肩に「甲」の文字が浮かんでた。
武甲衆!
し、刺客だっ!
そしてさらにさらによく見ると、うわっ手が無数にっ!ひいふうみいの、ななつあるっ!
くのいちせぶん対応かっ!
その手のウチのひとつはがっつりと俺の体を腕ごと握り占めているので俺の体はアタマと腰から下が無防備になってる。
さらにふたつの手がぐもーっと迫って来たかと思うと、俺の露わになっている足首をそれぞれむんずと掴んで、一気に左右に引っ張った。
「んぎゃーっ!」
俺の股がぁーっ!
おれのまたがぁーっ!
避ーーーーけーーーーるーーーーっ!
「く、くのいちーっ!助けろぉーーーーーーっ!」
イデデデデデデデっ!
と、叫ぶ粕太郎。くノ一たちは何をしている?
絶対絶命の粕太郎の運命も多少気にもなるが、我々はここで少し寄り道をしなければならない。
粕太郎の股間が大ピンチになる少し前、粕太郎たちがいる大萬市から10里離れた萬粕城の天井裏で、三峰衆七くノ一のひとり若葉は、やや途方に暮れていた。
若葉の主な役割は戦闘よりも情報収集と通信係りであった。
萬粕城の天井裏に忍んで、一体どのくらいの月日を送って来たか。
5年…?
いや10年であろうか?
萬粕城に少吾が誕生したその瞬間に3才の若葉は少吾の監視の命を受けた。それから14年の間、若葉はこの天井裏に忍び、少吾とその周囲の動向を監視していた。
あ、だから…14年であった。天井裏生活14年。
若葉、17才。
だがこの14年、特になにも起こらなかった。
若葉は三峰衆七くノ一の中では最も忍びの術に長けていた。
それは元からのものではなく、3才で天井裏に忍び、それこそ最初は里で鍛錬した息の使いや身ごなしを駆使していたが、次第にそれが無意識に出来る様になって行った。
良く、忍びが物音を立ててしまった時に鼠の鳴き声を模倣して誤魔化すシーンがテレビなどでもある。
あれもまたひとつの正式な遁法の一つであって獣遁か虫遁の術となろう。
だがそれは400年も500年も前の室町人間であれば誤魔化せもしよう。
だが今は文明の発達した平成の世である。その様な子供騙しが通用するとは思えない。
では若葉はどうしたのか?
若葉はそんないかにもな音真似ではなく、空気の音を出す術を身につけていたのだ。
天井裏という狭い空間に長きに潜んでいて、なにも聞こえない静寂と思われる環境でも必ず音があることを体得した。人間は静寂を心理的に無音と判断するのだが、決して無音などあり得ないのだ。
若葉は、どう動いても、体から無音という環境音以下しか出ないいう技を身につけたのであった。それはごく自然にであった。
今や、若葉の身を包む忍び衣装は十季や柘榴たちの様な機能的なスタンダードな忍び装束ではなく、ほぼメイドコスチュームであった。退屈な天井裏生活の中で次第に趣味が生まれ、若葉はコスプレを愛好する様になった。
いろいろやりくりを重ね、若葉の衣装は元々ある忍者装束にプラスされたドレッシーなふわふわとしたメイドスタイルなっていた。さらにそこに伊達眼帯をつけている。
忍者装束メイドスタイルアレンジに眼帯。この発想は映画『下妻物語』の中のゴスロリな深田恭子と樹木希林の婆さんの眼帯を観た若葉の独自のミックスであった。
若葉は天井裏でテレビもBlu-rayも楽しんでいた。音は一切出さなかったが全て理解出来た。実写は唇も読める。アニメは三枚の開き口中口閉じ口しかないにもかかわらず前後の関連から大まかなストーリー、セリフネタまで読み取り、時には無音で聞いて涙することさえあった。
話は戻るが、その様なふわふわとした忍び衣装であっても一切忍んでいて音を出さないという技を身につけていた若葉であった。
さて…。
3年ほど前から寝たきりになっていた19代当主・萬粕机衛門(つくえもん・89)が少し前からいよいよ大往生を迎える雰囲気になって来た。
すると、それまで平凡で素直でおとなしいが明るかった少吾少年…んー、若葉的にはそんな呼び方はしたくないのだが、取り敢えず、少吾少年の気がそぞろとして来たのを感じたのであった。
それまでは監視と言っても多少ゆるめにしていた若葉であったが、この頃から監視を強化した。
ある日、少吾は武甲衆頭目・瀬目人(せめと)を呼んだ。
「太吾兄を…消せ」
ついに暗殺指令が少吾の口から出た。
若葉はすぐに報せの伝書鳩デバトンを飛ばした。
だが、同時に武甲衆からも伝令の黒鳩クロバトンが飛んだ。前を飛ぶデバトンを見つけたクロバトンは機転を利かせ、デバトンを襲ってしまったのだ。
デバトンのいち早い伝書が届かなかったために、柘榴や十季が動くのが遅くなった。そのため、殿である太吾は襲われ、それを守るために藍は爆死した。
そのことは萬粕城の天井裏にいる若葉には直には伝わらなかったが、デバトンが戻らないことでそれを察していたし、武甲衆の報告を天井裏で聞いて大萬市の状況も手の内にあった。
デバトンの存在を知った武甲衆は当然、萬粕城に忍ぶ曲者を仕留めようと躍起になって探したが、若葉の長けた遁走術によりまったく見つからなかった。実は若葉は何もしないでその場にうずくまっていただけなのだ。息も何もかも殺して。探し出そうとする相手の意気込みが大きいほどこの術は有効であった。
だが、それからの若葉は役立たずだった。
まずは死んだ藍の代わりに男忍者を送り込む作戦を聞いた時、すぐに伝えなければと思いつつ、伝える手段がなかった。
「あいつらケータイくらい持ってくんねえかな」
若葉は思った。若葉は割と最新のスマホを持っているのだが、他のくノ一が持っていなければ意味がない。
三峰衆はその辺の経費を出してくれない割と零細な忍び集団なのである。歯噛みをする若葉であった。
そして、その藍を装った武甲衆が七くノ一の手に掛かり失敗したと知った。
武甲衆はさらに次の手として、忍び暗殺型ロボット、武甲丸を送り込む作戦を立て、実行した。
若葉はまたすぐに知らせたかったが交代要員もいない監視係である。情報を知るだけで伝えられないなど、なんの忍びであろうか。
若葉は無音の地団駄を踏んだ。
と、その時、ふと技を思いついたのだ。
空気による伝達。
空伝の術だ。
若葉は無音でしゃべった。
心の中で言うのと違う。確かに言葉は発するのだ。だがそれが無音レベルなのだ。
「暗殺ロボット、武甲丸が向かった。心して向かい撃て」
この言葉が空気を伝わって10里先の大萬市にいる柘榴や十季の耳に届くはずである。
つづく
| 大地丙太郎 | くのいちせぶん | 22:34 | comments(0) | - |
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